高田馬場経済新聞

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手塚治虫も愛した中華料理店「一番飯店」が70周年 「手塚さんの教え、地域と共に」

高田馬場の中華料理店「一番飯店」の皆さん

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 高田馬場で親子3代にわたって営業する中華料理店「一番飯店」(新宿区高田馬場4)が5月5日、70周年を迎えた。

手塚治虫さんが考案した「一番飯店」の人気メニュー「特製上海焼きそば」

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 俳優の榎本健一に見いだされ、吉田茂が総理の時に官邸やインドネシアやフィリピンの大使館でも料理の腕を振るった先代が1952(昭和27)年、白金台に店をオープン。翌年、浅草に移転するも事業がうまくいかず撤退し、1954(昭和29)年に現在の店よりも駅寄りの場所で「一番」としてオープン。それ以来、高田馬場で営業を続けてきた。

 当時の高田馬場にはシチズン時計の工場や染物工場、ガラス工房、印刷所などがあり、さまざまな大学の学生が住む下宿もあったことから、職人や学生の客が多かったという。店主で2代目の山本義家さんは「お客さんが多過ぎて店に入りきらず、丼と箸を持って外で食べる人がいるほど忙しかった」と振り返る。

 1961(昭和36)年には、シチズン時計の工場長からの要望を受け、現在の場所に移転。1967(昭和42)年には現在のビルが完成し、店名を「一番飯店」に改めた。

 山本さんは20歳ごろから家業を手伝い始め、1994(平成6)年に母親が他界後、当時経営していた3つの店を継いだ。現在は3代目になる息子の隆正さんも手伝い、約10人で営業している。

 先代の味を細かくレシピにまとめ、昔ながらの味を守っていることで知られる同店。看板メニューの「特製上海焼きそば」(1,450円)は、漫画家の故手塚治虫さんから「八宝菜や鶏肉などを焼きそばの上にかけてほしい」などと要望を聞き、先代が考案した手塚さん専用メニューだった。手塚さん他界後、手塚プロダクションから「メニューとして出してみてはどうか」と声をかけられたことをきっかけに通常メニューとして提供。手塚ファンが頼むようになり、人気の看板メニューになった。

 手塚さんが地元への協力を惜しまなかったことから、地元に貢献することが手塚さんへの恩返しだと考えている山本さん。地域通貨の「アトム通貨」には立ち上げから参加し、関連イベントにも参加してきた。コロナ禍で子ども食堂の利用者が多いと知り、昨年の11月から、新宿区社会福祉協議会に米を毎月30キロ寄付している。

 山本さんは「50周年を迎えた時は、70周年まで現役でいることが目標だった。まさか今でも1日14時間働いているとは思わなかった。仕事をしている時が楽しいから、体が動くうちは働き続けたい」と笑顔で話す。

 70周年を記念し、特性のポチ袋にいれたウーロン茶とプーアル茶を1200個用意し、客に進呈している。営業時間は11時~15時30分、17時~22時。水曜定休。

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