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高田馬場の洋食店「馬場南海」が閉店 神保町「キッチン南海」ののれん分け

高田馬場の洋食店「馬場南海」の店主・橘田千也さんと妻のますえさん

高田馬場の洋食店「馬場南海」の店主・橘田千也さんと妻のますえさん

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 さかえ通りの裏路地にある洋食店「馬場南海」(新宿区下落合1)が4月28日、閉店した。

「馬場南海」の定番メニュー「カツカレー」

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 店主の橘田千也さんは、18歳で自動車メーカーの関連会社への就職で山梨県から上京。神保町でマージャン店に黒いカレーを配達することで一世を風靡(ふうび)していた「カレーの南海」(後の「キッチン南海」、以下本店)に1971(昭和46)年、転職した。

 橘田さんは「店が7つくらいあって、非常に忙しかった。当時の本店はとにかく画期的な店で、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。給料も大卒の2倍くらいはあったと思う」と振り返る。繁盛店で下積みを経験し、1978(昭和53)年にのれん分けで独立、「キッチン南海下井草店」をオープンした。

 オープン当初は兄に手伝ってもらい、2人で店を切り盛りした。本店のある神保町と下井草という立地の違いから集客に苦戦し、本店にはない取り組みとして、全てのメニューに目玉焼きとみそ汁を付けるようになった。兄はその経験を生かし、後に「キッチン南海井荻店」をオープンする(現在は閉店)。子育てが一段落した頃から、妻のますえさんも店を手伝うようになった。

 34年間営業を続けた下井草店は、建物が老朽化で取り壊しされることになり、2012(平成24)年5月に閉店。翌年3月にさかえ通りの裏路地にある現店舗に「馬場南海」をオープンした。

 隣に洋食店「キッチンニュー早苗」があり、「キッチン」が被らないよう配慮し、店名は「馬場南海」に。同じ建物の並びには喫茶店「パンデュール」もあり、地元や近くで働く人たちから昭和レトロな飲食店が並ぶエリアとして、長年親しまれてきた。

 食券機も特徴の一つだった。本店は効率良くオーダーをさばくために色札を使っていることで知られる。橘田さんは「下井草店の最初の頃は本店のように色札を使っていたが、途中から全部暗記する方法に変えていた。お客さんからは『覚えが悪いから紙に書けばいいのに』と言われたりもした。『馬場南海』オープンのタイミングで、私も妻も還暦を過ぎていたので、効率的にするために食券機を導入した」とほほ笑む。

 店に通うのに往復2時間かかること、テレビなどで紹介されたことで長い行列ができるようになりキャパシティーを超えることで提供する料理の質が落ちるのを避けたかったことなどの理由から、閉店を決めた。

 告知する貼り紙を出すと、閉店を惜しむ客が連日店を訪問。11時~14時と営業時間が短いこともあり、ランチタイムには行列が続いた。4月末までの営業を予定していたが、食材がなくなったため28日で閉店となった。

 橘田さんは「下井草店の時のお客さんで『馬場南海』まで食べに来て、応援をしてくれた方もいた。高田馬場で9年間営業してきたことで、ようやく商売というものが分かったような気がする。お客さんあっての商売。これだけ順調にこられたのは本当にお客さんのおかげ。感謝している」と話す。

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