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高田馬場の純喫茶「エスペラント」が閉店 56年の歴史、客から「素晴らしかった」の声

「エスペラント」最終営業日に集まったスタッフ、友人のミュージシャンと店主の中島眞理子さん(前列中央)

「エスペラント」最終営業日に集まったスタッフ、友人のミュージシャンと店主の中島眞理子さん(前列中央)

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 高田馬場の喫茶店「エスペラント」(新宿区高田馬場2)が1月14日、閉店した。

高田馬場の純喫茶「エスペラント」の定番メニュー「ドライカレー インドネシア風」

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 「エスペラント」は1967(昭和42)年、名画座「早稲田松竹」の向かいに、現店主の中島眞理子さんの義母である千代子さんが開店した純喫茶。店名は人工言語の「エスペラント」が由来。当初は木造2階建ての建物だったが、1974(昭和49)年に建て替え、深い緑色の外壁が特徴のビルになった。

 オープン当初はドリンクメニューが中心だったが、千代子さんの息子の克さんが店を手伝い始めたタイミングで、フードメニューにも力を入れるようになった。1980年前後、喫茶店ではカレーが定番メニューだったということもあり、さまざまな店を調査して、メニューを増やした。オリジナルの定番メニューの「ドライカレー インドネシア風」もその頃に誕生した。

 客層は早稲田松竹に映画を見に来る人や近隣住民に加えて、学生も多かった。店にはサークルごとの日誌が置かれ、学生の情報交換の場にもなっていた。人力車の学生サークル「學生俥屋(がくせいくるまや)」は「数十冊にも上る日誌が残されていた」(眞理子さん)という。

 家族で切り盛りしてきたが、90歳を超えても店に立っていた千代子さんが2021年に引退。克さんも体調が優れず、眞理子さんがアルバイトと営業を続けてきた。ランチ時には客が集中することもあり、人がいないと営業できず、人件費が上がってきたことなども追い打ちとなり、閉店を決意した。

 克さんの兄と結婚してから店を手伝ってきた眞理子さんは「喫茶店なので、あまりお客さんと話をしてはいけないと思っていた。一番長く来てくれている常連さんの名前も聞いたことはなかった。それでも思い出のあるお客さんがたくさんいて、亡くなった常連さんのお子さんがあいさつにいらしたこともある」と話す。

 閉店を告知すると懐かしむ客が多く訪れるようになった。1週間前ごろからは特に客が増加。ランチタイムが過ぎても満席が続く、盛況ぶりだった。一時、学生客は減少していたが、近年の純喫茶ブームで若い客が増えていたこともあり、学生の姿も多く見られた。

 最終営業日の夜は、昔や今のアルバイト、なじみの客を招いて、貸し切り営業を行った。眞理子さんの友人でミュージシャンのチャーリー石川さんとマービー青木さんが演奏を行い、参加者で思い出を話し合ったり、昔のアルバムを見返したり、記念撮影したりして、名残を惜しんだ。

 最後のお別れに訪れた客からは「35年前から通っていたが、エスペラントは素晴らしかった。なくなることは残念」「お店の皆さんにきちんとあいさつできて、お別れできたのはよかった。長い間お疲れさまでした」などの声が聞かれた。閉店を知らずに訪れ、涙ぐむ客の姿も見られた。

 「片付けもあるので、まだ終わったという気がしない。片付けが終わったら、がくっとなるかもしれない」とほほ笑む眞理子さん。「早稲田松竹側から横断歩道を渡ったときに見える店の外観のグリーンが好きだった。店名の看板は、以前ネオンサインだったが、取り換えるときに同じデザインにしてもらったもの。たくさんの思い出が詰まった店だった」と振り返った。

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