早稲田大学(以下、早大)のアイコンの一つである角帽の復活を目指す「角帽復活プロジェクト」が現在、製造や素材提供、生産体制構築などに協力してくれる事業者を募集している。
角帽は創設者の大隈重信が「一目で早大生と分かるように」と考案。創立125周年を機に制定された現在のロゴマーク「早稲田シンボル」のモチーフにもなっており、現在でも「早大といえば角帽」というイメージを持つ人も多い。
早大の写真データベースには「大隈重信と学生達(最初の角帽をかぶった学生達)」という写真が残っており、1902(明治35)年ごろに撮影されたものとされる。その後、角帽と学ランは制服として、多くの早大生に親しまれてきた。
戦後もその流れは続き、1959(昭和34)年の生協の新入生向け広告にも「角帽は大学生の象徴である」という広告文もあったが、1960年代に入ると学生の服装の好みに変化が出始め、学生服を着用する学生が少なくなるのと併せて、角帽も徐々にその姿を消していった。
現在では、応援部の旗手や野球部の1年生、サークルの早稲田精神昂揚会の会員などが着用する程度で、角帽の着用シーンは限られている。最盛期には約30店舗あったと言われる角帽を取り扱う帽子店も激減し、残りわずかになってしまった。
応援部が使う角帽も代々引き継いでおり、劣化や破損が見られる。角帽が消滅してしまうのではないかという危機感から永続的な角帽の生産体制を検討するため、応援部内でプロジェクトが始まった。現在は、生産体制だけでなく、「もう一度、早稲田に角帽文化を根付かせること」も目標に取り組んでいる。
学生責任者の入鹿山航也さんは「角帽は大切な校旗をお預かりする部員が着用するもの。多くの早大の関係者にも協力いただいており、校旗、早稲田の文化を守る気持ちでやっていきたい。協力してくださる方がいれば、連絡してほしい」と呼びかける。
問い合わせは早大応援部のウェブサイトで受け付ける。11月にはクラウドファンディングも行う予定。